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三木たかしさん通夜、実妹・黛ジュン号泣

三木たかしさん通夜、実妹・黛ジュン号泣

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090520-00000037-sanspo-ent

5月20日7時52分配信サンケイスポーツ下(か)いん頭がんで11日に亡くなった作曲家、三木たかしさん(本名・渡辺匡=わたなべ・ただし、享年64)の通夜が19日、東京・芝公園の増上寺光摂殿で営まれ、芸能関係者など1200人が参列した。実妹で歌手、黛ジュン(60)は三木さんの死後、初めて公の場で。大粒の涙をこぼしながら、生前の思い出や闘病生活を語った。「津軽海峡・冬景色」「時の流れに身をまかせ」…。数多くの名曲を残し、優しくほほえみかける三木さんの遺影を前に、実妹の黛が何度も声を震わせる。通夜が一段落ついたとき、報道陣の囲み取材に応じ、号泣しながらも声を振りしぼった。「3月の初めに余命の告知をうけて、覚悟はしていましたが、あまりにも突然で受け止めることができません…。兄は告知をキチンと受け止めて、本当に毎日、治療に励んでいました」三木さんは岡山県内の病院で、1カ月ずつ2度にわたって療養生活を送った。1度目に入院した際には、黛が見舞いに行くと「ジュン、ありがとう来てくれて」とかすれた声で話しかけ、黛がやせ細った三木さんにしがみついて泣いたときには「ジュン泣くな、頑張るから」と誓ったという。黛は「岡山に行ったときは足がむくんでいたけど、最後まで頑張っていました。2度目(の入院)のときは意識がもうろうとしていて、声をかけてもただうなずくだけでした」と、激しい闘病生活を明かした。この日、弔問客の目をひいたのは縦4メートル70、幅17メートル、奥行き7メートルと超特大の祭壇だ。約3万本の花が並び、その手前には自宅の仕事部屋を再現。三木さんが実際に使用していたギターと机、未完成曲の譜面、卓上録音機、筆記用具、メガネが置かれた。黛は「仕事も大勢の方から依頼があって、書きかけのものもありました。仕事の方も最後まで頑張っていました」と思いやった。2人の母、時子さん(享年82)はシャンソン歌手を目指していたが断念。その夢を子供たちが託され、時にはロウソクの明かりで暮らす「極貧」生活にもかかわらず、物心つかないときから歌を聴かされて育った。そして母の願い通り、先に作曲家となった兄が1968年、前年に歌手デビューした妹の「夕月」を手がけた。通夜の前後には三木さん作曲の名曲の数々が流れ、参列者の涙を誘った。黛は「私は兄に褒められたくて、一生懸命頑張ってきたんです。これから先、どうやって歌っていけばいいのか、今は考えられません」としんみり。再び、目頭を押さえた。戒名は「耀功院奏心匡道居士」(ようこういんそうしんきょうどうこじ)。多くの人の心に染みわたる曲を残し、輝かしい功績を残した-という意味を込めた。告別式は20日午前10時から同所で。喪主は妻の恵理子さん。

[引用元:Yahoo[エンタメ総合(サンケイスポーツ)]]

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