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忌野清志郎さん がん性リンパ管症で死去

忌野清志郎さん がん性リンパ管症で死去

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090503-00000000-dal-ent

5月3日9時19分配信デイリースポーツロックミュージシャン・忌野清志郎(本名・栗原清志)さんが2日午前0時51分、がん性リンパ管症のため亡くなった。58歳だった。70年に「RCサクセション」のボーカルとしてデビューして以来、日本のロックシーンのトップを走ってきた。06年7月には自ら喉頭(こうとう)がんであることを明かし、闘病を続けていた。葬儀・告別式は9日、午後12時から青山葬儀場で営まれる。喪主は妻・栗原景子さんが務める。◇ ◇戦い続けたロック界のカリスマがついに力尽きた。「ベイベー、愛し合ってるかーい」のフレーズ、ド派手な衣装、過激な歌詞。どれをとっても忘れられないインパクトを与えるミュージシャンだった。そんな無敵のロッカーも病魔には勝てなかった。06年7月に自らのホームページで喉頭がんを告白。ミュージシャンの命であるのどを切ることを嫌い、手術は行わずに放射線治療などを行った。その後は順調に回復し、07年12月には「ジョン・レノン スーパーライブ」に出演、闘病前と変わらぬ激しいパフォーマンスを披露していた。08年2月には日本武道館で「完全復活祭」と題して本格的に音楽活動を再開。しかし、同年7月に左直腸へのがんの転移が発見された。その後は再び活動停止し、治療に専念していた。ファンの前に最後に姿を見せたのは昨年11月20日。都内のライブハウスで行われた「ブッカー・T&ザ・MG’S」のライブに飛び入り出演したとき。ステージから呼び込まれ、照れながら「イン・ザ・ミッドナイト・アワー」を熱唱。客席からも大きな拍手が送られた。とても闘病中とは思えない歌声からは半年後の悲劇など想像も付かなかった。「雨上がりの夜空に」「トランジスタラジオ」「スローバラード」「パパの歌」「デイドリーム・ビリーバー」(カバー)。タイトルを挙げればきりがない。現役の歌手にも多大な影響を与えたアーティストだった忌野さん。82年に坂本龍一と組んで発売した「い・け・な・いルージュマジック」では当時まだ珍しかったプロモーションビデオを制作。2人のキスシーンが話題となった。88年には「ザ・タイマーズ」としてアルバム「COVERS」を発売。反原発のメッセージを含んでいたため所属していたレコード会社からCDを発売できず、別の会社から発売するという事件も起こした。個性的なキャラクターは俳優としても重宝され、ドラマ、映画などでも活躍。多くの人の心にロック魂を伝え、忌野清志郎は旅立って行った。

[引用元:Yahoo[エンタメ総合(デイリースポーツ)]]


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